頭では、「割り切って考えたら、何の心配もする必要のないこと」だと
「世間の女の人達は、同じように割り切っているよ」と
わかるんだけれど。
ココロが、それに、ついていけてない。
そのことについて、ちょっとわかったような愚痴をしゃべると、
目元が細かく痙攣しているのが、自分でもわかる。
・・・・・すごく、無理を強いているんだな、とおもう。
じぶんの、ココロに。
彼の言うように、勘繰られる様な事は一切ない、というのを信じて
気付かないフリをしていればいいのだろう、と思う。
でも、ココロが、震えだすのだ。
「いやだ」と思うココロは、どんなに説得しても聞いてはくれない。
静かに傷ついているココロは、意外と頑なで扱いづらい。
例え、本人にも。
細かく痙攣する目元を意識しながら、
ああ、ひょっとすると、こうしてワタシは壊れていくのかもしれないな、とおもう。
見た目に変らなくても、
からだの奥底のほうで悲しみやら怒りやらやるせなさやらが
インフルエンザやらノロやらのウィルスも真っ青なくらいの病原菌になって
ワタシの精神か…身体を蝕んでいくんだろうな、とおもう。
そして、それでもいい、と思ってしまっている。
多分、公にしてしまうと、破滅にしか向かわない事案。
だから、ここだけの話に、しておいてくださいね。
いつか、ホントにメゲてしまったはね吉を見たら、
こういうことか、ということで。
・・・・だったらココにも書くな、って話ですね。
救われないまま、終了。
弱音を吐くのも、ココでだけ。
でも、そうでもしないと、子どもに笑顔で接することが出来ないんだ。
その不安定なココロのままで、見えない悪影響を子どもに与えてしまうことが
一番恐れていることだから。
あした、笑えるために。
ココロは泣いていても。
それが、最低限の、母親としてのつとめだから。
- 関連記事
-