狼には なれない 2
馴染みの屋台に珍しく先客があり、黒沼は遠慮しようかと思ったのだが
その顔を見て気が変わった。
「ほぉ、速水の若旦那じゃないか!渡りに船だ、邪魔するよ」
小さな縁台に腰掛けようとして、黒沼は目を剥いた。
冷や汗をダラダラ流しながら表情は冷静なふりをしている速水真澄の股間の上に
どこかで見かけた記憶のある黒髪の女が突っ伏している。
「きっ…きたじま…」
真澄は目元に涼しい笑みを湛えたまま固まっていた。
ただ、額からこめかみから、四六のガマのようにあぶら汗をしたたらせている。
遠目に見れば限りなくスキャンダラスに見えるこの二人の有態をみて、黒沼は言葉を失ってしまう。
さすがの黒沼が何も言えなくなっているのをみて、
真澄もヘタな言い訳の仕方をするよりは、聞かれたことにありのままを説明したほうが得策かと信じ
「これはどうも」
と挨拶をしたまま黙っておくことにした。
黒沼はマヤを挟むようにして縁台に座って、マヤをまじまじと見た。
安心してくうくうと寝息をたてている様子は、
二人の間には険悪なものも濃密なものも無さそうだ、と感じた。
「最近舞台が跳ねたら旋風のように帰っていたが…こういうことだったのか」
「あぁ…すみません。そのとおりです」
「いや、それからジェーンがパワーアップしたようなところがあってね。
人間の心に目覚めてからのスチュアートへの愛情表現がいじらしくなって。
メリハリが出てとても感動的だ」
「そうですか…」
黒沼はビールを注文し、空いている真澄のグラスに注ぎ、自分のグラスにも注いだ。
「…北島にカンパイ」
黒沼はカチン、とグラスをぶつけて一気に飲み干した。
「そうそう、嵐の初日といい、『イサドラ!』のパーティーといい…
あんたには世話になりっぱなしだったな。あらためて礼を言うよ」
「いえ…」
「表面的に見ればあんたと北島は犬猿の仲だが…おれにはあんたの意図がよくわかっていたよ。
これは将来の紅天女獲得の為の作戦なのかね?」
「いえ…単純に僕はこの子のファンで…。
この子の努力と情熱が最大限に生かされれば…と思っているだけのことです」
ふふふふ、と黒沼は笑う。
「ファンか…。この子にそんなチャンスを作ってやることの出来るファンなんて、そうはいないぜ」
真澄は一気に酔いが醒めていた。いくらマヤが股間に寝息を吹きかけようとも反応出来ないほど緊張している。
黒沼のビールが空いたところに熱燗をもう1本注文し、杯を勧める。
「ところで…いくら北島でも妙齢の乙女が股間を枕にしていて…
大丈夫なのか?なんて下世話な質問をするが」
屋台のオヤジがプッ、と吹いた。
「あれほどあんたを嫌っていた北島がここまで気を許しているということは
…そういう仲…にまでなっているのか?」
「まままままままままままままさかっ」真澄が初めて取り乱した。
「ははははははははははははははは!!!
あんた意外と顔に出ることもあるんだな!」
『そういう思慕を抱きながらも、なかなか行動に移せなくて悶々としている』と顔に書いてある。
その途端に、緊張の糸が切れて急速に意識をし始めてしまった。
「北島は演劇バカだ。演劇以外のことは疎くって危なっかしくて話にならん。
あんたみたいな人が支えていてくれたら…と思ってはいたが、
そっちももう心配はいらなさそうだな。
そんな人物に恵まれるというのも、天賦の才能ということなんだろう。
あんたに会いにいくために飛び出していくところを見ると
あんたのことは気に入っているんじゃないのか?」
「…餌付け作戦は成功でしょうかね…?」
「ああ、多分。桜小路がやきもきするほどだからな」
黒沼がわはははは、と声をたてた。
「週刊誌情報だが…見合いをしたそうだが。どうするんだ?」
「僕は冷血漢で有名ですから。そのうち振られるんじゃないでしょうか」
「ははははは!あんたも相当な役者だからな。スカウトしたいくらいだ」
「おそれいります」
鍋のおでんがくつくつと笑い声をたてているようだ。
全てを話さなくても、黒沼には伝わっているような気がした。
およそ同じ『大切な存在』を慮ることからくる、同志の共感からくるのだろう。
マヤが小さく身震いをした。
「このままでは風邪をひかせてしまう…先生、そろそろ先にお暇します」
「あぁ、どうするんだこの子」
「おぶって家まで送り届けます」
真澄は3人分の代金をオヤジに支払い、「ナイショだよ」と念を押した。
自分のコートをマヤに着せてやり、黒沼に手を借りてマヤをおぶった。
「しかし、こんなにグースカ寝られたら…襲う気にもなれんな」黒沼も苦笑いをしている。
しかしぐーすか寝ている状態でないと、唇を奪うことは出来ない真澄である…。
「おれはもうしばらく飲んでいくよ。すまんが北島をよろしくな」
「承知しました。先生もお疲れ様でした。失礼します」
よいしょ、と おぶいなおして歩き出す。
マヤの柔らかな頬が、真澄の首筋に当たる。
じわっと熱を帯びて、血が暴れだす。
「どこかにしけこんでも、黙っててやるからな~!!」
冷や水を浴びせられた気がして、きゅ、と毛穴が縮んだ。
「そんな簡単に狼になれるおれじゃないよ…」
ひとりごちてよいしょ、とおぶいなおす。
マヤの華奢だが柔らかな体が、背中に馴染んでいくようだ。
このまま、いつまでも。
マヤを背中におぶったまま、更けゆく秋の街を彷徨っていたい。
地下鉄の駅に向かって歩く。背中が、あたたかい…。
つづく。
ちょっと方向が逸れましたか?
黒沼センセファンなもんで、つい…。
それでは今宵はこのへんで。
明日もいい日でありますように……♪♪
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