狼には なれない 3
地下鉄の窓ガラスに映っている、二人の姿。
真澄のコートを羽織って、真澄の背中ですうすうと寝息をたてているマヤと
二人の影をなんともこそばゆい想いで眺めている真澄と。
マヤの住むアパートは5つほど離れた駅にあり
タクシーを拾うことも出来たのに迷いなく地下鉄に乗り込んだ。
座席に座っている客は、酔った娘を背負って座りもしない男を
見るとは無しに気にしているような気配だが
今の真澄にとってはどうでもよかった。
おぼろげに映る自分の顔が、ともするとゆるゆるとにやけていきそうなのを
「速水真澄ともあろうものが…」と呟いて引き締める。
背中に伝わってくる温かさと、時々首筋に当たる吐息と
肩や腕にかかっている愛し娘の重みが真澄を至上の幸せに導いている。
「もぅ…はやみしゃん…ったら…」
マヤの寝言に、心臓が跳ね上がる。
「…もぅ…食べられましぇん…ってば」
クッ・・・・・・!!
まったく、いつまでこの子は「色気より食い気」なんだ。
マヤを起こさないように、肩を震わせて笑いをこらえる。
「送り狼」なんておれには無理だな、と自嘲する。
こんな無邪気なかわいい子に、その時の衝動で襲い掛かるほど
自分は飢えて乾いているわけではない…。
見ているだけで、心が満たされていく…
駅に降り立って、マヤのアパートを目指す。
夜空の高い位置に、満月が出ている。
本物の狼男ならとっくの昔に変身しているのだろう。
駅に降りた瞬間、カクン、と身体が揺れた拍子に
真澄の背中にいたマヤは目を覚ました。
あれ…あたし…何してるんだろ?
だれ?
う、うっわーーーーーーーーーー!!速水さんに負ぶってもらってるっっっ!!!!
こ、こ、こ、これは狸寝入りを続けていたほうがいいのかもしれない…!!!
目をギュっ、とつぶって負ぶさる腕に力が入ってしまった。
その拍子に「よいしょ」と身体を揺らされる。
自分の頬が…真澄の首筋に密着した。
う、わ、わ、わ、わ……!!
心臓が暴れだす。
真澄の甘いような苦いような首筋の香りが、自分の中に入り込んでくる。
今まで感じたことの無い、速水真澄の人間としての…男性としての生々しい感触を
マヤは身体の奥底で実感した。
首筋から、真澄の心臓の鼓動が伝わってくる。
身体が、熱い。
今まで…真澄と食事デートを重ねてきたが
極力甘い雰囲気にはならないように牽制をかけてきた。
もう8割がた信頼し好意を抱き始めている、と自分では認めている。
ただ、真澄の整った美しい顔や
自分に向けられる軽い口説き文句にどう対処していいのか…
照れ臭くて恥ずかしくて、どうしても拒否をしてきたのだった。
なのに、こうして肌を触れ合わせている。
自分のなかに、酒よりも強く自分を酔わせるものが芽生えたことを
マヤは戸惑いとともに認めざるを得なかった。
汗をかく。口が渇く。
そして、大きく息を吸い込み…真澄の香りを味わってしまう自分がいる。
「結婚する気もないのに…その気にさせておくのは罪…か」
マヤに言われたひと言を反芻しながら、ゆらりゆらりと歩いた。
「きみは…どうなんだろうな。
おれがその気で…こうしていっしょにいるのを
きみはどう思っているんだろうか…」
マヤが目覚めているとも知らず、独り言を繰り返す。
立ち止まり、よいしょ、と負ぶい直してしっかりと密着する。
「無防備にこうして背負われているのを襲うのは簡単なんだろうが…」
「おれは…きみが好きだと言ってくれるのをずっと待っているんだろうな。
永遠に友達のままです、と言われても仕方がないが…
それでもおれは、きみをずっとずっと…好きなままいるような気がするよ」
マヤの腕がぎゅっ、と強くしがみついた気がした。
今夜初めて気がついた…。
あたしは、こんなに速水さんが好き。
速水さんの想いに応えたい。
速水さんとずっといっしょにいたいって思う…。
もう、あの日のように、
速水さんに対して…あたしは二度と、狼にはなれない。
「あ…う…ん」
それらしいうめき声を立てて、今目が覚めたふりをする。
「ちびちゃん…お目覚めか?もうすぐ君のアパートに着くよ」
「う……ん…あたし…寝ちゃったですか…?!ごめんなさい!!」
ははははははは、と軽い笑い声をたてて、真澄はマヤを背負い直す。
「お、降ります!降ろして下さい~~」
「だめだ」
「なっ、なんで~~~~~!」
「きみは重いけど、あったかいからな」
「ヤダッ」
「ジタバタするな。あと少しなんだからこのまま行かせてくれ」
「ううううう~~~」
アパートの玄関で降ろしてもらって、マヤは真澄を見上げた。
「すみません…あそこからここまで、随分あったのに」
「そうだな。ご褒美にチューくらいしてもらいたいもんだな」
マヤは迷った。ほっぺにチュ、くらいならしてもいい。
だって速水さんのこと好きだってわかったから。
でも、でも、でもーーーーー!!
「あははは、なんてな。楽しかったよ、酔っ払いさん」
マヤの頭をポンポンポン、と撫でて もと来た道を行こうとした。
「あったかくして寝るんだぞ。おやすみ」
「…お…おやすみなさい…」
何も言えないまま、マヤは真澄の後姿を見送った。
満月に向かって歩いていくように見える。
月からの使者が、務めを果たして帰るかのようだ…。
「速水さん ……す ……き 」
小さく小さく呟いて、甘くて苦い真澄の香りを思い出した。
からだの奥で、幸せなくせに切ない…そんな気持ちが生まれた。
「速水さんが、すき」
そう呟くと、きゅぅぅ、と胸が痛んだ。
さっきさよならしたところなのに、もう会いたい。
この、公演がすべて終わったら…。
この気持ちを伝えよう。
速水さんがすき、とキチンと伝えよう。
おしまい。
あれ?あら?な終わり方、でしたかね?すみません~~~
それでは今宵はこのへんで。
明日もいい日でありますように…
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